毎日がもふもふ

新規事業に特化した渋谷の開発会社mofmof inc.を経営するエンジニア兼代表・原田敦のブログ

若いうちの苦労は買ってでもしろとか言うおっさんがムカつく

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若いうちの苦労は買ってでもしろ。

と言うおっさんがいる。だが、買ってでも苦労すべきはおっさんも同じだ。

誰がこんなポンコツ言葉を生み出したのか知らんが、たぶんどっかの国のいつぞやの時代の変な偉い人が、若いやつは苦労を好んで取りに行けと言ったんだろう。

その趣旨はぼくが解釈する限り「苦労」を重ねれば重ねる程に成功体験が増え、自身の成長につながる、というような趣旨だろうな。

では、なぜ「若いうち」なのか。おっさんは成長しなくてもいいとでも?おっさんは人間の完成形だとでも?

ぼくはこのブログを、秋をまじかに控えた、ちょっと風が吹くとわずかに鳥肌が立つ程度に肌寒い気候の中、スカイツリーのふもとでパチパチとやっている33歳のおっさんである。

おっさんの中では若手ではあるが、正真正銘のおっさんであり、つまりぼくは、現代を代表する一人のおっさん自身としてこれを述べているのだ。

成長は加齢によって衰えるものではない

と、思ってる。

加齢は体力や身体能力を低下させるであろうし、場合によってはファビュラスな香りを放出させていく個体もある。だがしかし人間的能力の向上を鈍化させているだろうか?

ぼくはそうではないと思っている。10年前、23歳頃のぼくは確かJava使いの新人だった。Javaを覚えてエンジニアとなるべく努力を重ね確かに成長をしていた。

そして現在33歳。ぼくは小さいけれど一企業の社長となった。ぼくはずっとエンジニアだったから、組織のことをよく知らなかった。マネジメントのことも、採用のことも、ビジネスを立ち上げることも。

だけど、全部やってみた。うまくいったこともうまくいかなかったこともある。少しずつだけど知らないことは減り、知っていることが増えた。つまり今でもぼくは成長している。

この成長の曲線は、10年前と今とを比べて鈍化しているという自覚はない。

やってみたいことは何歳からだって出来る

じゃあいつやる?(いまでしょ!とは限らない)

「苦労」とはその辺に落ちているボールだ。真面目に仕事をしている人間はみなたくさんのボールを抱えている。ところがときおり、誰かがそれをポトンと一つか二つ落としてしまうことがある。

あなたはそれを拾う?拾わない?

あるいは、誰かが綺麗な色のボールを持っている。こんな一言でも良いかも知れない。

「ちょっとそのボールもらっていい?」

苦労を買って後悔したことはない

ぼくは野球部で、晩年補欠だったため球拾いが得意だった。試合のときはベンチorコーチャー、ひどいときは塁審だ(試合にも参加させてくれないだなんて!)。

なので、20代の頃から落ちているボールは良く拾っていた。

会社のWEBサイトが古くなってきてダサかったから、リニューアル担当を希望した。そのときにPhotoshopを使ってデザインする勉強をしてみた。

若手が増えてきたときには、チームリーダーを買って出た。勤怠管理をし、月一でチーム飲み会を開いたりしてた。その施策の良し悪しは別として。

出来る開発言語よりも、やったことない開発言語に手を出せるチャンスをいつも狙っていた。その結果当時流行っていたFlex(Flash + XMLという技術。後に多くの技術者に血の涙を流させることになる)だったり、個人受注でVB.netの仕事をやったりした。

そんなぼくの様子をみて、会社はぼくを経営サイドに引き入れようとしてくれた。「苦労」をよく買っていくやつには「苦労」をよく売ってくれるようになるんだ。つまりお得意様だね。

成長の源泉は知的好奇心である

成長が鈍化している人は好奇心を失っている。エンジニア目線でみた場合に、この業界で数年間の実績があれば、大抵食っていくことは難しくない。

もちろん生涯食っていくためだけに仕事をしている人もいるし、それはそれで良い。そんなもんは個人の価値観だ。他人がとやかく言うことじゃない。

だが、「これやってみたらどうなるかな?」「これやってみたらおもしろそうだな!」という好奇心を持っていれば、ただ飯を食っていける、という以上には面白い人生を送れるのではないかと思ってる。現にぼくは、自分の人生が最高に面白い。

そして我々の組織は「技術が目的、ビジネスが手段」という言葉を掲げている組織であり、技術を行使して、新しいプロダクトをつくり、世の中に価値を届けること自体に喜びを見出す組織である。それは全て知的好奇心によって支えられていると言っても過言ではない。

より面白そうなものを求め続けている限り、人の成長が留まることはない。たとえ君がおっさんだったとしてもだ。

おっさんよ大志を抱け。