毎日がもふもふ

新規事業に特化した渋谷の開発会社mofmof inc.を経営するエンジニア兼代表・原田敦のブログ

いつまでもインプットばっかしてんじゃねえ、今すぐ実践しろ

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インプットしたらアウトプットするのが大事だよねーとか、インプットしたらアウトプットすると記憶に定着するんだよーとか、中途半端なこと言ってないで黙って実践しろという話をしたい。

最初に結論を言っておきます。

知識とは学んだときにではなく、行使したときに初めて身につくものである。そして、行使したときにだけ新しい知識が生まれるのである。

「知識」と「情報」は別物である

「知識」と「情報」は別物であるけど、境界線は曖昧なので明確に区別してないのではないかな。例えば、5歳くらいの小さい男の子が自転車に乗れるようになりたいとする。自転車の漕ぎ方を説明するなら、

  • サドルにまたがる
  • ハンドルを握る
  • 地面を蹴って前に進む
  • 足をペダルに乗せて漕ぐ
  • 倒れないようにバランスをとって漕ぎ続ける
  • ハイ出来上がり

という具合になります。

これを説明された男の子は上手に自転車に乗れると思います?乗れないっすよね。つまりこれが「情報」ってことです。構成される要素は知っているのに出来ない。情報を扱って目的を達成することが出来ない状態。

さて、うまく乗れなくて悔しい男の子は、来る日も来る日も、雨にも負けず風にも負けず、雪にも夏の暑さにも負けず自転車に乗りつづけました。転んでも転んでも諦めずに乗りつづけました。

するとどうでしょう、始めは全然上手に乗れなかった自転車が、いつしかスイスイと風を切るように乗れるではありませんか!

この瞬間「情報」は「知識」に変わるのです。つまり情報を扱い、目的を達成できること、それが「知識」です。

インプットと実践までの時間は出来るだけ短くしろ

さて、話を少し変えてみます。多少なりとも勉強する意欲がある人は本くらいは読んでるじゃないですか。エンジニアだったら、なんか興味のある新しい技術が出たらちょっとチュートリアルくらいやってみたりするじゃん?

よくさ、「インプットするだけだと忘れちゃうから、誰かに話したりアウトプットすることで記憶に定着させましょう」みたいなこと本に書いてあったりするじゃないですか。

そうじゃねーーし!見聞きしたことを忘れないために生きてんの?え、君ってハードディスクか何かなの?違うっしょ、何かをより上手く出来るようになりたいから学んでるんでしょ。

だったら5歳の男の子みたいに学んだことをすぐにやってみなよって。

頭の中に置いておける「情報」は揮発性なんですよ。その情報は扱わなければ消えていくのですよ。だから覚えておこうとしたって意味なくて、雨にも負けず風にも負けずその情報を使って使って試して使って、そして自分の「知識」に変えるのですよ。

何が言いたいかっていうと、使われない情報をただ惰性でインプットするのはさっさとやめて、今使いたい情報をインプットしたら、出来るだけ速やかにそれを実践して、非揮発性の「知識」に変えるべって話。

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学んでからやるのでなく、やらねばならないから学ぶ

よくさ、「勉強して出来るようになったらやります!」って人いるやん?

そうじゃねーーし!それやんなきゃいけないから学ぶのさ。逆転の発想よ。そんなのんびりしてたらすぐに世紀末200X年到来しちゃいますよ。5歳の男の子が「自転車の乗り方を完全に理解してから自転車乗ってみます(`・ω・´)キリッ」とか言ってたら、いやいや、はよ自転車乗れやってなるじゃないすか。それと一緒ですよ。

なので、学びの効果を最適化する手順はこれだ。よく覚えておけ。いや違った、今すぐやれ。

  1. その学びを実践する機会を先に決める(この時、出来るだけ学びとの間をあけないこと)
  2. 実践に必要な学びの範囲を見極め計画する
  3. 実践する機会までの間全力で勉強する
  4. 実践する

例えばエンジニアなら、新しい言語を習得するなら、それを使って自分の個人サービスを作ることを計画するでもよし。業務で自分で言語選定できる立場にあるなら、次のプロジェクトはそれで作ることを決めてから勉強するでもよし(おっと、自分の趣味だけで、合理性のない技術選定はするなよ)。英語を勉強したいなら、一人で海外旅行行く計画を立ててから勉強に取り組むでもよしだ。

よっしゃ独自フレームワーク作ったるで!とか思ったそこのお前、俺は3年後の未来から来た。今すぐ考え直せ、お前のフレームワークは多くの人間を不幸にした。

大事なことだからもっかい言いますよ。

知識とは学んだときにではなく、行使したときに初めて身につくものである。そして、行使したときにだけ新しい知識が生まれるのである。