毎日がもふもふ

新規事業に特化した渋谷の開発会社mofmof inc.を経営するエンジニア兼代表・原田敦のブログ

悪口を言わないこと、愚痴を言わないこと、人のやりたいことを否定しないこと

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どうも。mofmof inc.のエンジニア兼代表取締役の原田敦です。 今年2つ目のAdvent Calendar「コミュニケーション Advent Calendar」書かせていただきます。

http://qiita.com/advent-calendar/2015/communication

コミュニケーションの話。 mofmof inc.ではリモートワークも積極的に取り入れているので、そのあたりのSlackとかSkypeのTipsの話しようかと思ったんですが、やめた。色々工夫してることもあるけどそんなおもろない。代わりにちょっとエモい話書きたくなった。

ぼく個人が対人コミュニケーションで気をつけていることというか考え方というか文化というかそういうこと書きます。

  • 人の悪口を言わないこと
  • 人の愚痴を言わないこと
  • 人のやりたいことを否定しないこと

という3つ。

人の悪口を言わないこと

悪口言うとなんとなくスッキリしますよね。わかります。「共通の敵を作って団結する」って実際に結構あって、悪口言って賛同してもらえたらなんとなく仲間感が湧いてきて嬉しくなっちゃったりして。

でも、悪口ってたとえ本人に伝わることがなかったとしても、言うことの心理的メリットよりデメリットの方が大きいと思うのですよ。

例えば、「ぼくはAさんが大嫌いで顔をみるだけで反吐がでるぜ」ってBさんに管を巻いたとする。Bさんは笑って聞いてくれるかも知れませんが、AさんとBさんが仲良しだったらどうだろう。Bさんイヤな思いをしますよね。ぼくとAさんを天秤にかけてAさんの方が大事だったらぼくと距離置かれちゃいますね。

当たり前だけどどんな仕事やってても敵が多いより味方が多いほうが良いに決まってるじゃないですか。ちょっとしたしょうもない悪口のせいで、気づかないうちに味方がいなくなっちゃった、なんてのは悲しい。

経営者になってから本当によく思うのですが一人ぼっちじゃロクに戦えないです。協力してくれる人は本当にありがたいし、必要。ぼくのような未熟経営者には特に。しょうもない悪口なんかで人の縁を失いたくない。

人の愚痴を言わないこと

別に愚痴を言っちゃダメだとは思っちゃあいないですし、もやもやしてるときとか、憤りを感じているときとか、ぼくもなんだかんだ言ってしまうことあります。

でも、愚痴を言っている自分の心理状態を観察すると、愚痴言ってスッキリした瞬間、その愚痴を生んだ根本的な問題をそこに置き去りにして忘れちゃってるような気がするんです。

臥薪嘗胆って言葉ありますよね。「敗戦の復讐を果たすために苦い肝を舐めて、敗戦の恥を忘れないようにする」っていうような故事成語だったかと思うんですが、そんな感じのことが言いたい。

苦しいことや怒りや不安という感情には必ず根本的な原因がある。自己啓発意識高い系ポジティブな言い方をすれば、「自分を成長させるチャンス」とでも言えばいいんでしょうか。もうちょいマシな言い方をすれば、「改善すべきポイントを導くための反動現象」とでも言いましょうか。

愚痴を言ってもいいと思いますよ。でも改善活動しないで終わらせるのはただの問題先送りになっちゃう。愚痴だけ言って終わらせちゃいかん。

でもやっぱりいっつもグチグチ言ってる人はネガティブな印象持っちゃうかな。愚痴ってタダの責任転嫁っぽくも聞こえちゃうし。

人のやりたいことを否定しないこと

なんだろう、例えば「こんなことやってみたいんだけど」って話が来たら、基本的には後押ししてあげたいなーって思ってて、逆に「そんなことやっても意味ないよ」っていうのが最低だと思ってる。

何か新しいことをやろうと思ったとき、それが本当に価値があることなのかどうかって、結局どんな議論したってやってみたいなとわからんと思ってる。だからやってみてナンボだと思うんです。

仕事がら新規事業に関わっているし、自分自身も新規事業にチャレンジしていて思うんですが、何か新しいことをやろうとするとき、それがうまくいかない根拠を示すことは非常に簡単なのに対して、うまくいく根拠を示すことは非常に大変。

自分が何かチャレンジしようとしたとき、否定する人や、指摘をしてくれる人はたくさんいて、もちろんそれもありがたかったけど、やっぱり 「それいいね、やってみたらいいよ」とか「こうやるともっとうまくいくんじゃない?」とか言ってくれる人の存在には励まされた。ぼくはそっちのタイプの人でいたい。

まとめ

3点の見出しだけ見ると、まるで神か仏か人格者かのような言い様でなんとも恐縮な心持ちですが、利他的にどうこうって言うより、自分はこうありたいなっていう話。

思うに、ぼくはこういう人が好きなんだろうな。